2015年09月05日

昨日の記事について

どうも、黒道です。

昨日更新した記事「映画『REST』をホメる!」について、多くの方に見ていただき感謝しております。
なんと作り手である白石監督や工藤D役の大迫氏にまで言及していただけ、こういうブログを運営している身としては非常に感激した次第であります。

ところがその際、監督自身にご指摘いただいた点がありました。
それは、これを制作するにあたってどのような気持ちだったのか推察するような内容になっている、主に当該記事の後半部分にあたる内容であります。
あそこで私は「監督は自分がやりたいことを押し通しているんだ」というような書き方をしました。しかしそういう意志でやってるわけではない、というのが白石監督のおっしゃったことでした。自分がそうしたいから、ではなく「作品がそのような形で生まれ出ることを求めているから」そうするのだと。

これは非常に重要なご指摘です。
無論、私自身は映画を撮ったことはありません。が、自分がやりたいから、というのと、作品がそのような形になろうとしているから、というのでは、そのありようがまったく違うのは私も理解するところであります。
優れた彫刻家は、自分の意志で作品を彫るわけではないという話を聞いたことがあります。こんな作品彫るぞ〜! と作るのではなく、石の中にあらかじめ石自身の彫られるべき形が内在しており、それを取り出してやるだけなのだと。
私の尊敬するミュージシャンであるRevo氏も、「なんとなく作ろうと思えば曲はいくらでも量産できるが、メロディには『今ここでこの曲として生まれるべき』という瞬間があり、それにそぐわないと思えばその時が来るまでしまっておく」という意味の発言を過去のインタビューでなさっていたように記憶しております。
白石監督のおっしゃっているのは、まさにそのようなことだと感じられます。
私が書いたような「工藤の人気など関係ない、自分はこうしたいんだ。だから思いっきり屑キャラにしてやるぞ」というのであれば、これは監督の自我(エゴ)による行動ということになります。
しかし、あらかじめ作品には収まるべき形があるというのならば、「工藤は人気があるけれど、作品はこのような形になろうとしている。だから工藤が屑に見えるかもしれない表現であってもそうする」と、こういう表現の方がより真実に近いように思われます。
後者のような形ですと、そこに監督の自我(エゴ)は関係ありません。このような形でありたいという意志を持っているのは作品の方であり、監督はそれを形にしていく。
同じ「工藤を悪人に見えるよう描写する」でも、まったく性質を異にするのがお分かりいただけるでしょうか。そこをご理解いただければ、私のような素人が俗な発想で勝手に監督の意志を決めつけるような発言をするのが、いかにつまらない行為であったかも察していただけるかと存じます。

そもそも、作品で表現されていない部分を必要以上に深読みし、作者の思想、人格等を勝手に読み取ろうということ自体が、非常に危険な行為であります。
作品は人間が作るものですから、そこに作り手の意志が何らかの形で宿ることは、確かにあるだろうと私は考えております。しかし、人間は多様な側面を持った存在であります。たかだか作品をいくつか見ただけの他人が、作り手の性質を見極められるなどと考えることは、それこそ観客側の思い上がり、利己主義(エゴイズム)の発露なわけであります。
このような発想をする観客は、やがて自分にとって都合の良い作者像を勝手に作り上げ、それを盲信するようになります。私は作者がこの作品を通して伝えたいことを非常によく理解しており、作者の思想や人格も手に取るように分かるんだ、といった具合です。
当然ですが、観客が作者本人ではない以上、どうしても妄想と現実にはギャップが生まれるものです。ところがこのような状態に陥った観客は、そのギャップに気付いた際、突然盲信者から厄介なアンチに変わることが多いわけですね。こんな作品を作るなど、こんな発言をするなど、こんな行動をとるなど、この作者の本来ではない! と怒り出すわけです。
本当は彼の抱いている妄想こそ本来ではないのですが、そこの区別がつかなくなった結果、「自分の妄想こそが作者の本来の姿であり、現実の作者の姿は嘘である」というまったく意味の分からない倒錯した思考を持ってしまうと。このような例は枚挙に暇がありません。

私自身はそうなるまいと思い、ブログを始める際は「ほぼ妄想に近い考察等はよしとこう」「直接読み取れない部分に関して、これは絶対こうだ! というような決めつける書き方はよしとこう」と決めておりました。
が、やはり私には面倒な気質があるのでしょうか、回数を重ねるごとにその誓いを忘れ、どうにも勝手に作者の意志を必要以上に代弁しようとする傾向が生まれていたように感じます。
多くの作者はわざわざ私のブログを見て「それは違うよ」と反論しないでしょうし、そもそも私のブログの存在など知らないまま一生を終える可能性が高いでしょう。ですから私は、放っておけば好き勝手作者の意志を代弁し放題なわけであります。
そうやって増長しかけていたところを、今回白石監督というファンの感想を大事にする監督に見つけていただいたことによって、ようやくこれまでの行いを冷静に見つめ直すことができました。

監督は私の知る限り一度だって「自分がやりたいから工藤を悪人に仕立て上げたんです」などと発言したことはありませんし、作品内で明確にそう述べたこともありません。
まず「工藤がカッコ良かったのに悪人になった」という発想自体が、こちら側の勝手な感想なわけです。カッコ良いと思ったのも私なら、たとえようもない屑だと感じたのも私で、監督は「コワすぎ! 工藤はカッコイイんだよ、超コワすぎ! 工藤は悪いヤツだ」なんて明確に述べたワケじゃありませんよね。価値判断をしているのは常にこちら側であります。
それを、作者の考えを分かったように色々書いてしまうのは、所詮は他人のくせに自分のことを全て知っているような顔をして説教をかましてくる面倒な親や教師、嫌な上司にも似た振る舞いであり、私が唾を吐きかけたくなるほど嫌いなもののひとつであります。
自分自身がそのくだらないものになりかけていたところをこのような機会に恵まれ、深い感謝と反省をいたします。

今後記事を書く際は、自分の想像と現実に表現されていることの境界をハッキリと持つことを改めて心掛け、「自分の感じ取った作品の魅力を分かりやすく伝える」という当初からのスタンスを大切にしていこうと思います。
今後もゆっくりではありますがブログは更新していく予定ですので、今後とも応援をよろしくお願いいたします。
最後になりますが、このような反省の機会を下さった白石晃士監督に、改めてお詫びと感謝の意を述べさせていただきます。今後も陰ながら応援させていただきます。

それでは失礼いたしました。もしよろしければ、次回のホメカツをお楽しみに。
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posted by 黒道蟲太郎 at 13:30| Comment(0) | おしらせ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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