2015年08月14日

アニメ『ニンジャスレイヤー フロムアニメイシヨン』第十八話をホメる!

どうも、黒道です。
ホメカツ頻度落ちておりまして申し訳ありません。実のところ今もあまり余裕があるわけじゃないんですが、どうしてもちょっとこの記事は書いておかにゃならんなあと思って、パソコンに向かい始めた次第です。

アニメ『ニンジャスレイヤー フロムアニメイシヨン』
第十八話『エヴァー・フェルト・チーティド』




2015年、TRIGGER制作のアニメです。ニコニコ動画等の動画配信サイトにて配信されています。
物理書籍版第3巻に収録されているエピソードです。



うわぁ……このエピをやってしまうのか……というのが私の正直な感想でして。
というのもこれ、忍殺第一部における『イッキ・ウチコワシ編』とでも言うべきエピソードを締めくくるお話なんですね。で、これ見るとただでさえ評判良くないアムニジアの評判が下がる下がるでもうユカノファンとしては大変心痛む事態なわけですよ。ハイ。
で、この個人的に忙しい時期にこの心痛むエピソードをホメカツするのはどうも気が引けるわいと思ってしばらく放っておこうと思ったんですが、どうも「このエピソードが勘違いされて伝わっているな」というような感じがしますので、そこだけ私の考えを書いて、とりあえずのホメカツ代わりにしたいと思います。
来週あたりから徐々にちゃんとした版ホメカツが再開されると思うので、皆様、どうか気長にお待ちください。
私が話題にしたいのは、ラストシーンに関する話です。

エヴァー・フェルト・チーティドといえば、フジキドとユカノが一旦決別するさまを描いたエピソードです。
イッキ・ウチコワシは暴力を正当化し感傷も持たない、ユカノに相応しくない組織。そう確信したフジキドは、ユカノの、アムニジアの目を覚まさせようとしますが、アムニジアは既にイッキ・ウチコワシの思想にどっぷり浸かってしまっていたんですね。
それどころじゃなく、「暴力とかしないよ。みんなでNO貧困を訴えていくヤツだよ」と(豊満とかで)学生を誘い、イッキ・ウチコワシ構成員候補をどんどん増やしていたというワケで。そういうイッキ・ウチコワシの汚い仕事まで請け負ってたんですね。革命の為に必要なことだ、と信じて。
ユカノが完全にウチコワシニンジャ・アムニジアになってしまっているのを見たフジキドは、ユカノを無理矢理引き戻すこともせず、かといって殺したりもせず……ただ今は、決別するわけですね。それが正しいとは思わないけれど、フジキドだってどうしたらいいか分からなかったんです……。

で、この裏で描かれていたのが、ネオサイタマ第一大学に所属する学生、ナラキの物語。
自分の人生に意味を見いだせず漫然と日々を生きていたナラキは、マナメという豊満な女性に思いを寄せていました。反体制学生運動に参加している彼女とお近づきになるため、興味があるわけでもない反体制思想を勉強してみて、遂には彼女と一緒にデモに参加しようということになったわけですね。
はじめは「彼女の為に」だったナラキですが、「こんな社会おかしい」と思っているのが自分だけじゃないと勇気づけられ、段々とその行動に内発的な意味を見出していきます。ひとりで言ってもしょうがないことでも、みんなで言えば変えられるかもしれない、と。

そんなナラキに忍び寄る、気の良さそうなお兄さん。彼は、ナラキに「NO貧困デモ」の空虚さを示唆します。
「NO貧困」という主張にはどうも具体性が無い。貧困をなくす為にとワイワイやっているが、そのデモのせいで商売あがったりなお店もある。「社会を知らないくせに学生風情がNO貧困など」と冷ややかな目で見られている事実もある。
この『学生運動』は、自分の頭で考えられないゾンビーがウロウロしているのと何が違う? 何の意味がある?
本当に主張を伝えたいカネモチは、「がっこうぐらし!」めいたバリケードを作って、ゾンビーがうろつくさまを見ながらそれなりに上手くやってる。この無思考デモが、どうやったらカネモチに届くというのか?

そう、この男こそが、イッキ・ウチコワシの書記長、テツオがとる仮の姿のひとつ。
テツオらイッキ・ウチコワシは、無思考ゾンビーめいたデモ隊の中に、自分達のエージェントを紛れ込ませています。ゾンビーの群れがカネモチに襲い掛かる、バリケード崩壊のキッカケを作らせるために。
何も考えずNO貧困を唱えるだけなら誰でもできる、本当にブルジョワを倒し、革命を起こしたいなら、戦わねば!
それが彼らの主張なわけです。

マナメ……つまりアムニジアも、そのための闘士のひとり。
アムニジアは、マナメとして自分が言ったことをドンドン否定していきます。「暴力とかはしない、それじゃ市民の支持は得られない」と言ってたのに、今は「暴力は必要悪」と。デモ隊を暴徒と化させたのも必要なことであり、そのために犠牲となった市民はむしろ喜ぶべきだ、と。
マナメがキッカケで得たナラキの思想が、本人によって否定されていく。ナラキは大きなショックを受けます。はじめはアムニジアに縋るように喚いていたナラキですが……やがて、黙ってその場から立ち去っていく。



それで彼がどうしたか? ここがどうも、正しく解釈されていないと感じます。
その後の彼の様子が、最後に少し描かれています。マナメと会っていたカフェで、大学の後輩と会うナラキ。彼は、マナメがかつてやっていたのと同じように、後輩をNO貧困デモに誘っているんですね。
これを見て、「ナラキがイッキ・ウチコワシ思想に染まってしまった」と感じる方もいるようです。丁寧に読み解いていけば、そういうのとはちょっと違うというのがきっと分かると思います。
ナラキの主張をもう一度よく聞いてみてください。一見すると、マナメが言っていたことと何も変わらないように思えるかもしれません。「デモって暴力のイメージあるけど違うんだよ〜」と。
でもナラキの発言には、マナメにない主張が含まれているんですね。「安易な扇動や暴力に頼るのは違う。時間がかかっても『自分で考える』ことが大切なんだ」と。
そう、「暴力なんてしないよ〜」というアピールだけじゃない。無思考な若者を煽って暴力に頼り革命を達成させるイッキ・ウチコワシのやり方を、明確にここで否定しているんですね。

それは、カフェから出た際のナラキの言葉にも表れています。ここで彼は「そうですよね、マナメ=サン」と言うわけです。「そうですよね、アムニジア=サン」ではない。
ナラキは、ユカノという女の二つの側面を見たわけです。「安易な暴力じゃ何も解決しないよ」と言うマナメ。「革命には暴力が必要だ」と言うアムニジア。全く正反対。実際アムニジア側の主張が本音なわけですから、マナメの主張は完全にデモの敷居を下げるための方便、カラッポのがらんどうということになる。
では、マナメの主張を受け継ぐナラキもまたカラッポなのか? 実際、デモに参加する前と参加した後、彼の思想は何も変わっていないようにも見えます。ここが誤解を与えやすいポイントかもしれません。
しかし、彼が何も考えていないワケじゃないのは、我々視聴者が知っているはず。そう、ナラキは『自分で考えた』上で、マナメの主張が正しいとしているわけです。
彼は確かに、マナメの方便を無批判に受け入れ、それをあたかも自分の主張であるかのように振りかざしながらデモに参加していました。しかし、それが方便であると理解し、「革命には暴力しかないんだよ!」とイッキ・ウチコワシの思想を再び押し付けられそうになった時、彼はそれを拒否しているんです。
何も考えず「暴力はよくないよね〜NO貧困だよね〜」と言っていたナラキは、この経験を通して、自分が何を信じるべきなのかもう一度『自分で考え』、その結果として「暴力はよくない、NO貧困のメッセージをどう伝えていくか、それを自分で考えていくことが大切」という思想に辿り着いたわけです。

Aという主張を、人から言われたから「そうだよねAだよね」と言う。
Aという主張を、「Aというのは嘘だよ、本当はBなんだよ」と言われ、よく考えた上で「いや、やっぱり僕はAだと思う」と結論を出す。
同じようなコトを言っているように見えても、このふたつに明確な違いがあるの、きっと理解していただけると思います。

確かに、「じゃあ具体的にはどうやってNO貧困を非暴力的手段で実践していくか?」と言われれば、未だその辺の結論は全然出ていないわけです。それをもってナラキを結局変わってないと断ずることもできましょう。
しかしもうナラキは、テツオに「NO貧困を唱えるだけのデモに何の意味がある?」と問われても、揺らぐことはないでしょう。「唱えるだけじゃない、ひとりひとりNO貧困の意味を考えていくことが大切」と。イッキ・ウチコワシに洗脳されたわけではない自分なりの思想を、ナラキはこの出来事を通じてしっかり育てたわけですね。

実を言うと、書籍版では描かれていて、アニメイシヨンではカットされているシーンがあるんですね。
それはラストシーン。ナラキの前にもう一度テツオが現れ、改めてイッキ・ウチコワシに誘うシーンがあるんです。ナラキはそれをちゃんと断り、テツオはナラキの思想の危うさを指摘しながら去っていく。と、まあ、そんな感じです。
このシーンをカットしているために、少々誤解されやすくなっている部分はあると思います。しかし私はこれを、「アニメ制作スタッフが、視聴者の『自分で考える』力を信じた結果のカット」なんじゃないかなと解釈しております。
ご存知の通りアニメイシヨンは尺が短いですから、全部描写していると描き切れないエピソードも多数あります。今までだってそうでした。このエピソードもそうです。視聴者に伝えるのに最低限必要な部分を、相当吟味したことでしょう。
テツオに対し「アンタらのやり方は違う」と明確に言わせれば、イッキ・ウチコワシと決別したナラキが自分の頭で考えられる男になったことは実際分かりやすい。しかし「そこまで明確に描かなくても、ここまでついて来てくれた視聴者は読み取ってくれるんじゃないか」という信頼が、スタッフの側にあるんじゃないかと思うんですよね。FLASH作画からでも激しいイクサを感じ取り、毎週熱狂してくれているヘッズらであれば、きっと分かってくれるんじゃないかと。

誤解しないでくださいね、カットされたシーンは要らないなんて申し上げてないんですよ私も。言うなれば、そうですね。今回のラストシーンは、単純にアプローチの違いだと思うんです。
たとえば書籍版で、「ネオサイタマの路地裏に、赤黒のニンジャあり。只ならぬカラテを感じさせる佇まい。メンポには『忍』『殺』の文字。彼こそはフジキド・ケンジ。ネオサイタマの死神、ニンジャスレイヤーその人である。彼はドラゴン・ゲンドーソーの忘れ形見、ユカノを探していた」というセンテンスがあったとしましょう。
これをアニメイシヨンでは、もっと圧縮しなけりゃならない。そこで「赤黒のニンジャっていったらフジキドって分かってくれるでしょう。そしてフジキドの師っつったらゲンドーソーだし、その忘れ形見っつったらユカノでしょう」と判断する。結果「ネオサイタマの路地裏に、師の忘れ形見を探す赤黒のニンジャあり」と表現する。
これ、別にどっちが優れているとかどっちが劣っているとか、そういう話じゃないですよね。書籍版は「おお、フジキドが出た!」と分かりやすい。一方アニメイシヨンは、「おっ、フジキドがユカノを探してるんだな」と行間を読ませる。ただしまぁ、「赤黒のニンジャというだけではニンジャスレイヤーとは断定できない。よって、忘れ形見がユカノだと言いきることはできない」という見方をする人も出るだろうし、明言しないが故に「赤黒のニンジャ? 忘れ形見?」となる可能性もある。そういう話じゃないかと思うんですよね。



テツオが話してるトコがもっと見たかったですが、そういう視聴者の感性を信頼していくスタイル、個人的には英断だと感じました。忍殺という作品を新たな切り口で表現し続けているアニメイシヨンですから、やっぱり好き嫌いは別れると思うんですが、私はかなり肯定的に今回のラストを見ていることです。
そしてアニメから入ったニュービーヘッズ諸氏! 結構あっさり殺されたヨトゥン=サンの活躍やテツオの怪しさを重点したい場合、是非書籍版を手に取っていただきたいと思います。書籍版では、私が毎週長々と解説しているようなことが独自のリズムでちゃんと書いてあり、実際情景がイメージしやすいことです。アニメではやらなかったエピソードも沢山読めますし、twitter版から大幅改稿してあり、更なる熱狂を生むこと間違いなしです。なお、私はここに来て偶然宣伝しています。翻訳チームやエンターブレインは無関係。

最後にユカノ画像をキャプチャしたヤツでお茶を濁したいと思います。

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カワイイヤッター!
市民を殺すし暴動は扇動するし……ユカノもまた、カラッポのところに革命思想を植えつけられて、『自分の頭で考え』られなくなってるんですよね。悲しいなぁ。
毎回申し上げてる気がするんですけど、ユカノが自分の頭で考えられるようになるには、なんと第二部後半を待たなきゃいけないんですよ。辛いです。アニメイシヨンだけ見た人、こんなカワイイなユカノを誤解したまま。辛いです。うぅ。



とにかく、次回のホメカツをお楽しみに!

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posted by 黒道蟲太郎 at 05:38| Comment(0) | アニメ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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