2015年07月09日

映画『トレインスポッティング』をホメる!

どうも、黒道です。

突然ですけど、カレンダーあるじゃないですか。パソコンから当ブログをご覧になって下さってる方なら分かると思うんですけど、右側のサイドバーに。それ見てみて改めて思ったんですが、私のブログ更新ってどういうわけか週の後半に集中してるんですよね。多分私の生活習慣がおかしいからこういうことになってるんですけどね。
というか私がブログの文章考えるのに時間かけすぎなんですよ。もっとさくっと簡潔にまとめればいいのに時間かけるから、書いてる途中でいったん休憩しちゃったり、結局書き上げるのに日をまたいだりしてしまうんですよね。同じ程度のクオリティの文章が、もっと短時間で書けるようになりたいですね。そういうための修業でもありますしね。

というわけで、これまたリクエストいただいた作品です。
ボウリング・フォー・コロンバイン」「博士の異常な愛情」と同じ日に見たんですが、コレを最後に回したというところから、私の心にこの作品がどのように感じられたか少し想像していただけるかもしれません……。

映画『トレインスポッティング』



1996年、イギリス制作。アーヴィン・ウェルシュ原作。ダニー・ボイル監督による、ドラッグを題材としたクライム・フィクションです(正直ジャンルはこの括りでいいのか微妙ですが、よく分からないのでこのまま押し通してしまいます。そもそもジャンル分けにそんなこだわらない男なので、その辺はまぁ適当に)。

この作品において描かれているのは、ドラッグ。それも史上最悪のダウナー系ドラッグ、ヘロインです。
依存性や中毒症状が凄まじく、キめ続けないと体中に地獄の苦しみが走り、際限なく使用量が増えていって、やがて死に至る可能性まであるという。
社会の枠から外れて、このヘロインを延々キメながら過ごす、スコットランドの若者たちの物語。それが本作だと言えましょう。

先に書いてしまうと、こりゃ名作と言われるのも納得の作品です。
かなり鮮烈なドギツイ表現もあり、油断してみると心的ダメージを負う可能性もありますので、ご覧になる際は少しだけ覚悟の上でお願いしたいと思います。
と前置きしたうえで、早速この作品の魅力を紹介していきたいと思いますので、是非続きをご覧ください。

この物語は、ひとりの若い男レントンが、クソみたいな社会とヘロイン中毒の間で揺れ動き続ける、汚く美しい青春の物語です。

レントンの人生はとにかくクソです。ヘロイン中毒で、仕事を探してるフリをして失業手当で食いつなぎ、軽犯罪を繰り返しながら、社会のレールの外で同じような仲間と怠惰な日々を送って過ごしています。
なんでそんなことをするかって、別にレントンに限らず、とにかく人生ってやつはクソッタレで、くだらないことばかりなのです。世の中で良しとされていることが、何一つだってロクなモンだとは思えない。どんなに真面目に生きようが、クソッタレのスコットランドはクソッタレなイギリスの下にある。どんなにクリーンに生きようが、カウチでくだらないクイズ番組見て、最後は腐った体の老人に成り果て、くたばるばかり。
レントンやその仲間たちは、そんなしょうもない社会、しょうもない現実から逃げるように、『修道院長』と呼ばれる売人の元でヘロインをキメる日々を送っているのです。

彼の仲間にはいろんな奴がいます。
根は優しい奴なのに、単に暇だからってヘロインをキメてるスパッド。スパッドの彼女のゲイル。どういうわけだかヤクヲ打ったり止めたりのコントロールが異様に上手い、映画オタクのシック・ボーイ。特定の男がいるわけじゃないのに赤ん坊がいて、その子をドラッグ部屋に連れ込んでいるアリソン。ドラッグはやらないが、酒と暴力に溺れているベグビー。真面目でドラッグにも手を出さず、筋トレと彼女のリジーに命を懸けているトミー
……いずれにせよ、あまり『マトモ』な生き方をしている奴はいないわけです。

レントンはそれでも、時々ヘロインが嫌になります。ヘロインそれ自体というよりも、こんなモンやってる自分自身が。こんなコトやってたってダメだ、俺は薬を断つんだ、って。
……まあ、それが上手く行きゃ苦労しないんですけどね。幾度もドラッグ断ちを心に決めながら、結局彼はヘロインに戻ってきてしまいます。両親やシック・ボーイ、ベグビーなんかに馬鹿にされながら、レントンは結局ヘロインをキメ、ラッシュの快楽に酔ってしまう……。

薬、暴力、セックス……でも、そんな馬鹿みたいな日々は、永遠には続きません。
ヘロインが、暴力が、彼らの若さが、彼らの人生を少しずつ狂わせていきます。仲間たちは段々とドツボにハマり、人生のどん底みたいな場所へ落ちていく。ケチな犯罪で刑務所にぶち込まれたり、万引きなどメじゃないほどの犯罪者になったり、大切な人を失ったり、もう少しマシな人生を送れるはずだった、その命すらも失ったり……。
「幸運」なレントンは、そのどれにも該当しませんでした。本当にワルでクソッタレなのは自分自身なのに、仲間たちばっかり。
耐えきれなくなったレントンは、地獄の苦しみの中、本当にドラッグを断ちます。そして、ゴミみたいに思ってた社会の一員となって、まともに生きていく決心をするのです。不動産の仕事を見つけ、そこそこ上手くやっていけそうに思えたレントンでしたが……。



というわけで、私にしちゃかなりアッサリしたあらすじまとめになってるんですが。
私がこういう書き方をする時って、大概「この映画がどれだけ良かったか、『こんなストーリーでした』ってだけじゃ説明できないな」って思ってる時なんですよ。
言葉にしちゃえば簡単なんです、レントンがドラッグやめたりやっぱり始めたりまたやめたり繰り返す話、って。でもそれじゃこの映画の魅力を伝えたことにはまったくならない。言葉にすれば陳腐というやつです。

この映画はですね、とにかく「汚いモノ」「描写すべきでないモノ」を鮮やかに描写し続けてるんですよ。つまり、「マトモじゃないモノ」を。

たとえば、お食事中の方がいらっしゃったらいたら申し訳ありません。ウンコの描写がしばしばあるんですよねこの映画。
例を挙げると、レントンがドラッグを断とうとする最初のシーン。ヘロインを断つため、レントンはとりあえずヘロインより弱いアヘンを買います。徐々に弱い薬にしていって最終的にはバッツリ断とうってワケですね。で、その買ったアヘンがなんと座薬なんですよ。仕方なくケツにぶち込むレントン。
ですが、『ヘロイン断ち』と『座薬』の相性、実は最悪だったんですね。私も初めて知ったんですが、ヘロインを常用していると便秘気味になるらしいのです。だからレントンもクソが出せなくて困っていたはずなんですが、ヘロインを断ったことによって便意が一気に襲ってくる。トイレを探すが、信じられないくらい汚いトイレしかない(このトイレが汚いっての、日本人にとっては結構キツい描写じゃないですか? やっぱ不潔なトイレじゃウンコしたくないですもんね)。
吐き気を催しながら用を足すレントン。ですが、そう、せっかく金払ってケツにぶち込んだアヘンが、ウンコまみれの便器にドボンしちゃうんですよ。ヘロインの依存性は半端じゃありませんから、いきなりシラフでいられるわけがない。レントンは便器を徹底的に漁って、クソまみれの座薬を探すんです。ヴォエ!
この映像がまたスゴいんですよ。それこそ薬物中毒の幻覚みたいな映像でして。クソまみれの便器の中に全身で突っ込んでいったら、その先は光差し込む広大な海。沈みゆくアヘンの座薬を手に入れて、クソまみれの便器から這い出す……。
まさか本当に頭から便器に突っ込んだわけじゃないでしょうし、映画的表現だとは思いますが、監督こそ何かキメてらっしゃるんじゃないかってくらい嫌悪感のスゴい映像。これが映画の割と最初の方で流れるわけですよ。これはこういう映画です、という堂々たる宣言のようで潔いですね。
そう、この映画はとにかく「汚いモノを映す」ってコトにこだわっているな、と私には感じられました。
彼らの青春は決してキラキラしたモノじゃありません。クソみたいな現実から逃げるためのクソみたいなヤク中人生。ウンコまみれになることだってあるし、うっかり高校生だか中学生だかとセックスしちゃうこともあるし、禁薬による幻覚を見ることさえある。それを美化して描こうとは決して思っていない。ドラッグは楽しいモノじゃないし、彼らの人生だって幸せとは程遠い。だから、積極的に汚いモノ、マトモじゃないモノを映す。観客にこの汚らしい傷だらけの青春を味わわせるには、観客がダメージを負うくらいの勢いで、汚らしい部分を圧倒的に描写することが必要だと考えたのではないかと思います。

私が見ていて特にキツかったのは、やはり何と言っても、アリソンの赤ちゃんが死亡するシーンですね。
これもね、何かの事故で死んでしまったとか、そういうのならまだ同情の余地があるんですよ。そうじゃないんです。この赤ん坊が死んだの、完全に彼らのせいなんですよ。
この子の死因、餓死なんですよね。赤ん坊含め全員が修道院長の所にいるのにですよ? 赤ん坊の腹を満たすカネが無いわけでもなくですよ? 全員がヘロインキメて、ガンギマリになって、自分の世界に閉じこもって、時間という感覚も失って。赤ん坊がお腹空かせて泣いてるのも気付かず。赤ん坊のオムツがウンコまみれになってるのも気付かず。赤ん坊の死体が軽く干からびるくらいまで、誰も赤ん坊が死んだってことに気付かないんですよ。
これだけでも充分やってられないのに、このシーンには更に続きがありまして。その事実に気付いた彼ら、何すると思います? ヘロインをキメだすんですよ。レントン達がヘロイン中毒なせいで赤ん坊は死んだのに、その辛い現実、悲しみ、そういったモノを紛らわすために、よりにもよってヘロインをキメだすんです。
とにかくこのシーンは地獄としか言いようがない。もう、彼らのロクでもない人生には、ヘロイン以外の逃げ場が無いんです。私はこのシーンの時点で一回DVDを止め、休憩を入れざるを得ませんでした。結構苦手なんですよ、小さい子、特に赤ん坊が死ぬとか、もっとさかのぼって中絶とか、流産とか、そういう話。でも、このシーンは絶対に描写する必要があった。レールを外れた彼らの人生が決して愉快なモノではなく、地獄を外れた場所にある別の地獄に過ぎないってことを示すために。そう思います。

本当に、レントンの「幸運」が、どれだけレントンを苦しめただろうか。映画が進むにつれそう思わざるを得ません。
レントンの周りは、いつだって悲劇に溢れてます。赤ん坊を死なせてしまう奴もいる。注射器の回し打ちでエイズになる奴もいる。犯罪でしょっぴかれる奴もいる。でも、直接被害を被るのは、いつだってレントンじゃない。
レントンだって、充分にクソッタレのワルなんですよ。周りの仲間たちと同程度か、あるいはそれ以上に。でも常に裁かれない。万引きとドラッグ常用がバレたって、捕まるのは共犯の仲間だけ。注射器を使い回したって、エイズになるのは仲間だけ。彼も中学生だか高校生だかとセックスとか明らかにアカンことしてるんですよ。クスリだって何度断とうが全然止められない。でもそれは裁かれない。いつだって報いがあるのは仲間だけ。
本当に報いがあるべきは自分だ。何度レントンはそう思ったことでしょう。その考えがどれだけ彼を苦しめたか、想像に難くありません。

だからこそ彼は、クスリを止めて不動産業を始めたわけでしょう。まるでキリスト教徒が己の罪を告白し、神にすがるように。
しかしながら、そこで枷になってくるのが、自分の過去。そう、自分のかつての仲間たちなわけですね。ようやく上手くいこうとしていたレントンの人生に、こう、そんなコトは許さんと絡みついてくるわけです。泥沼にいる時は何もないのに、出ようとした瞬間邪魔してくる。なんというタチの悪いしがらみなのでしょうか。そしてレントンは、そんな仲間たちに自分の人生が台無しにされようと、大きく抵抗できない。仲間が大事だから。おお、雁字搦めです……。

だからこそあのラストシーンは、ようやくレントンが救われたと感じられましたね。
レントンは、ドラッグの上に立つ泥船みたいな人生を肯定するわけでもなかった。かといって、過去の汚い自分なんて存在しなかったかのように生きることもしなかった。自分がワルで屑野郎なコトを受け入れて、それを否定せず自分の一部とし、その上でこのつまらない現実と折り合いをつけ、ドラッグまみれの過去と決別し、つまらないレールの上をそこそこ幸せに歩いていくことを決めたわけです。
汚いモノがめいいっぱい描かれたこの映画ですが、結局描いているのは普遍的なテーマなんですよ。社会と折り合いがつけられず、セルフアイデンティティに悩む青年が、やがて良いところも悪いところも自分自身だと受け入れ、社会の中で前に進んでいく。それを鮮やかな映像で、しかも90分というコンパクトさにまとめたのが本作だというわけです。



実時間以上の驚くべき密度で、若者たちの汚く美しい青春が描かれています。こういう映画を見ると、やっぱり作品ってのは見る人の心に傷残してナンボだなと改めて思わされますね。こうやって全力で殴りつけてこそ、視聴者の心にガツンと残る作品と成り得るのかもしれません。
まだ見たことのない方には、是非とも見てほしい映画です。若いユアン・マクレガーも出てますしね。いい作品でした。



それでは、次回のホメカツをお楽しみに!

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posted by 黒道蟲太郎 at 08:31| Comment(0) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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