2015年06月24日

映画『オンリー・ゴッド』をホメる!

どうも、黒道です。
以前挑戦状としてリクエストいただいた映画で、見たにもかかわらずまだホメカツしてない作品がいくつかあるので、少しずつ紹介してきたいと思うところなわけです。
しかしまあ、ホメカツが遅れてるというのは、単に忙しいとかいう事情もあるといえばあるんですが、その、私の中で消化が難しい作品であるから……ってこともあるんですよね。
今から紹介していく映画も、私をしばらく悩ませた作品です。

映画『オンリー・ゴッド』



2013年、フランス・デンマーク共同制作。ニコラス・ウィンディング・レフン監督によるクライム・スリラーです。

……私、こんな偉そうに作品評ブログやってるんですけど、実はそんなに芸術作品に対する造詣が深いわけじゃないんですよ。映画を見ても「ここのカメラワークが良くてねぇ」とか「ここの音響が」とか「役者の繊細さが」とか「この演出にはこういう意図が」とか全部が全部読み取れるわけじゃないですし。基本的にはバーンドカーンみたいな映画見てよく分かんねえけどその勢いにゲラゲラ笑ってるみたいな。その程度の男なわけですよ。
でも実際そこに作品があったら、その意図を探っていきたいじゃないですか。これを作った人はどういうことを表現したいんだろうな、鑑賞者をどんな気持ちにさせたいんだろうなと。ブログを開始した意図を考えれば、そういうの考えていくことが巡り巡って自分のアウトプットに活きるわけですし……。

前置きが長いですね、つまり、この映画は結構見る人を選びそうだなァって話です。
消化の良い、胃に優しい映画じゃ決してないように思いますから、私と一緒にじっくり味わっていきましょう……。

この映画の舞台は、タイ、バンコク
主人公の白人男性、ジュリアンは、ここでボクシングジムを経営しています。でもそれは表向きの話。実際は、いわゆる裏稼業をやっているようです。麻薬運んだりとかね。
そんなジュリアンの兄貴・ビリーが殺されるところから、この物語は始まります。穏やかじゃありませんね。

なんでこんなことになったのか、という話なんですが。
ビリーは、強姦殺人をしたんですね。それも、売春婦やってるまだ幼い女の子をレイプした挙句殺したわけです。まだ中学生とかかな、そのくらいの女の子が体売ってるって時点でだいぶキツいんですが、まあ国も違うからそういうこともあるのかもしれない。
まあ、若い女の子が体売ることに対する賛否は国ごとに分かれるかもしれませんが、強姦殺人が許される国なんてのはそうそうないでしょう。ハイ、完全に悪い奴ですこの兄貴は。で、悪いことしたから復讐として殺されたわけですよ。その殺した子の父親に。まあ同情の余地はないと言ってもいい。

ところがですね、ジュリアン達のお母さん……クリスタルは、そうは思わなかったわけですね。
ジュリアンのお母さんですから、やっぱり裏社会で活躍する女性です。もうその時点で結構キツそうじゃないですか。事実キツいんですよ、初対面の女をビッチ扱いしたりして暴言吐きまくりですし。
ところが家庭事情を知ると、もうキツいっていうレベルではない。完全にその、虐待親なんですねこのクリスタル。それもどーやら性的虐待含むですよ。それに兄貴の方は溺愛されてたみたいなんですが、ジュリアンは結構扱いが悪かったみたいですね。ジュリアンのがキツいとはいえ両方とも虐待は間違いないでしょうから……ビリー兄貴も多分それで歪んでいったんでしょうね……。

そんで、クリスタルからしてみたら、愛する(愛してる方の、と言い換えても良い)息子が殺されたなんてとても我慢ならないことなわけですよ。息子の死を聞いてバンコクまですっ飛んできた彼女は、ジュリアンに「犯人を見つけ出してブチ殺すこと」を要求します。

そういうわけなんですが、じゃあ売春婦やってた子の父親を殺せばいいのかっていうと、また話がちょっと違うんですね。もちろん実行犯は父親なんですが、それをやらせた人間がいるんですよ。ソイツの名はチャン。警官をやっていた男のようです。
彼はいきなりその父親を呼びつけると、娘が死んでその側にジュリアン兄がいる状態の現場にブチ込みます。そして、「好きにしろ」と復讐のチャンスを与えたのです。幼い娘を殺されたわけですから、父親は我慢なりません。冒頭で申し上げた通り、キッチリぶち殺したわけですね。

ところがですね、ここからがチャンという男の異常性なわけですよ。
無事娘の仇を討った父親。ところがチャンはこれを拘束し、人気のない場所に連れていくわけです。困惑する父親に、チャンはとんでもねぇことを言います。
お前は人を殺した。それに元はといえばお前が娘を売春婦として働かせるからだ
ウッソだろお前!? いやまあ、そうかもしれないけどさ、ほとんどお前が殺させたようなモンなのになんだその言い草!?
結局チャンは、この父親の腕を刀で切り落として決着とするんですね……なんちゅうヤツだ。俺がルールだを地で行く存在というか。自分の中に「世界のルールはこうあるべき」というのがハッキリと存在していてて、立場を利用してそれを振りかざし、他者にそれを強要する……コイツも立派な狂人です。本人は極めて冷静に罪を裁いているつもりであろうところがまた何とも言えません。

というわけで、殺すならやっぱチャンを殺さなきゃいけないってコトになるんですが。
この殺人を母に強要されるジュリアンの内面がまた複雑なんですね。
ジュリアン、精神がひどく未成熟なんですよ。心がきちんと大人になれないままでいるんです。そりゃあの母親の下で暮らしてりゃ当たり前なんですけど。誤解を招きそうな言い方になっちゃいますが、『重度のマザコンの自分』と『母親に反発したい自分』が同居したまま、そしてそれらにきちんとした折り合いをつけられないまま、この歳になっちゃってるんですね。
(うーん、マザコンっていうから誤解を生むのかな? より詳しく言おうとすると『幼い時分から受けてきた虐待によって、母親に逆らってはならないという刷り込みが生じていて、またそれが母親に依存する心にもつながっている』とかいう長ったらしい説明になってしまう。分かりますかね?)
息子が殺されて憤るクリスタルに対し「兄貴が殺されたのは兄貴が幼い女を強姦殺人したからだよ」ってボソッと主張するんですけど「何か事情があったのよ!」とキレられたらしゅんとして黙ってしまうあたりのシーンに、そういった彼の心の葛藤が現れてますよね。自分なりの考えも持っていて、それを主張して自立したい気持ちはあるんだけれども、そうするにはあまりにも母親の存在が強大過ぎる。
しかも多分ですけど、母親の性的虐待のせいで女とセックスできなくなってますよね彼? 映像を見るに性欲自体はありそうなんですが、それを行動に移すことはできないみたい。勃たないのかもしれんですね。見て行けば見ていくほど、ジュリアンの歪まされに歪まされた人格に胃がムカムカしてしまいます。ウエー。

裁くべき兄殺しの黒幕ではあるが、道徳観的には自分に近い存在、チャン。
明らかに本意ではないことを強要してくるが、逃げることのできない、クリスタル。
ジュリアンは、この二人の間で揺れ動きながらも、チャン殺しに加担させられていくのですが……。



ストーリーだけ軽く説明してしまうとこんな感じなのですが。
本作が見る人を選びそうな理由はこのストーリーではありません。このストーリーを、観客の感性に訴えるような印象的映像でゆーーーーーーーっくり見せてくる点です。
ホントに、映画全体で見ると、しゃべってる時間よりしゃべってない時間の方が長いのではないでしょうか。抽象的なシーンや幻想的なシーン、ほとんどが『間』で構成されるシーン等、エンターテインメント映画ではあまりやらないような試みが非常に多いです。そういうのが退屈な方には向かない作品かもしれないですね。

前置きみたいにして最初に書いた通りで、私芸術に疎いので、こういう作品を真剣に鑑賞しようとしたら、感性のすべてを集中させて見なきゃいけないんですよ。そう、なんというかな。私がふだんホメカツするような作品が酒飲みながらゲラゲラ見るような作品とこういう作品は、その性質が全然違うんですね。
ちょっと女の子にたとえてみますと、私が普段見てるよーな作品はキャイキャイかわいい女の子なんですよ。ねぇ〜黒道君〜? よそ見してないでこっち見てぇ〜? お話しよぉ〜? みたいな。ええ。たとえオッサンしか出てこない映画であってもそうですし、暴力ディレクターがホームレスを殴り三千円を渡すような作品でもそうですよ。
一方こういう感性に訴えかけるような作品は、クールビューティーなんですよね。口数も少なくて、一緒にいても向こうから積極的に話を振ってきたりはしない。私はしたいようにしてるから、話がしたいならそっちから話しかけてきて、といった態度。忍耐強く話しかけて、徐々に心を開いてもらえれば、非常に素敵な魅力が見えてくるんですけどね。

実際ね、このクールビューティーにしっかり向き合ってみると、きちんと描こうとしているものが見えてくるんですよ。即ち、虐待親のせいで大人になりそこねたジュリアンが、親の手を離れて精神的自立を手にする物語。しかも、90分とは思えない密度でそれを見せてくれます。
ジュリアンの中に、相反する二つの自分が存在してるんですよ。ホントは『共存してるんですよ』って言いたいんですけど、全然共存できていません。彼の心はとても不安定で、常に『マザコンの自分』と『母から離れたい自分』が喧嘩しています。唐突に暴力をふるったり、大声を上げたり。きっと彼自身どうしたらいいのかよく分からん状態にあるのだと思います。
無論ね、やろうと思えばジュリアンがクリスタルから離れる方法なんかいくらでもあるはずです。世界は広いですから、バンコクを勝手に離れることだってできる。自分自身にも力があるんですから、母親の暗殺だってやろうとすれば容易なはずです。それができないのが、彼に植えつけられた精神的『呪い』だと言っても差し支えないかもしれない。その呪いの中で苦しむジュリアンが、幻想的にじっくりじっくり描かれていく。

そしてやはり注目せねばならないのは、この映画における暴力描写でしょう。
映像表現が全体的に尖っているこの作品ですが、暴力だって例外ではありません。もちろんスプラッターホラーはしょっちゅう見てるわけですし、ちょっとくらいグロいくらいで私も色々言わんのですが、そういう「血がいっぱい出ててグロいよ」とかそういうことじゃないんです。
全体的にグロさとは別の次元で、非常に痛ましいんですよね。言葉にしてみれば「ぶん殴るだけ」とか「斬るだけ」とかになっちゃうのかもしれませんが、それを「だけ」と感じさせない鮮烈さがある。
あの、ジュリアンが人の口の中に手を突っ込んで引き回すシーンとか、「おおお……」となかなかクるものがありますね。体だけデカくなって力ばっかりつき心が成熟しなかったジュリアンがその暴力を振りかざすから痛ましいというのもあるのかもしれない。
無論、戦闘シーンなんかもあるんですよ。ジュリアンとチャンが戦うシーンとか。ジュリアンがボクシングの構えを見せて、チャンに挑む。これボコボコにやられちゃうんですけどね。チャン、フツーのオッサンみたいなのにめっちゃ強いんですよ。

チャンというのはこの映画のタイトルにあるように「神」の代行者的な者を表現したモノなのかもしれないですね。にしてはビジュアルが地味だし自分勝手すぎやしないか、という気もしますが、監督はこのアジアの神秘的な雰囲気に何か神々しいモノを感じたのかもしれない。神様って得てして自分勝手ですしね。
人の定めた法律などに依らず、自分の定めたルールに忠実に、あくまで自分の手で裁きを実行していくんですよチャンは。そして何者にも退けられることがなく、逆に自分を退けようなどと考える不届き者には容赦がない。あと裁いた後はなんでか知りませんがカラオケで歌う。これも自分ルールなのでしょう。自分の手を汚したら、清める儀式が必要なのかもしれません。なんでカラオケを警察仲間に聞かせるのが儀式になるのかと言われたらアレですけど。
そしてジュリアンは、その神と『対峙』せねばならなかった。クリスタルという、自分にとって全知全能にも等しい偽りの神に縛られながら。オリエンタルで神秘的な裁きの神と向き合い、今までの人生を清算せねばならなかった。神と代行者たるチャンと対峙する中で、ジュリアンは遂にそれを成せた、と解釈するのがいいかもしれません。
あの、ラストシーン周辺、やたら背景が明るいんですよね。この映画で描かれてるの、ほとんど『夜の世界』なんですね。それはマフィアの世界であり、母親に支配された闇の世界。そして、ジュリアンが母親の手を離れ、自分の意志を現すラスト周辺のシーンは、陰鬱な暴力に彩られてはいるものの『昼の世界』。これもなかなか示唆的です。
同じように暴力に彩られた悲惨な世界ではあるものの、そこにようやく誰かの言いなりではない自分の意志が宿った。同じ暴力でも質が大きく異なります。それが成されたからこそ、最後は静かに『裁き』を受け入れられたのかもしれませんね、ジュリアン。

なんだか煮え切らない表現になったかもしれません。申し訳ない。
この映画は、ぼんやり見て楽しいタイプの映画じゃ決してありません。じっくりその世界に没入して、感性を研ぎ澄ませて『対峙』すべき作品でしょう。たまにはどうでしょうか、受動的に映画を受け取って楽しむだけじゃなくて、こっちからガンガン責めて、クールビューティーを裸にしていくというのも。
「好きだった?」と言われると悩むところですが、「その存在に圧倒された」映画であった。私の感想をひとことでまとめるとそんな感じです。



それでは、次回のホメカツをお楽しみに!

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posted by 黒道蟲太郎 at 00:17| Comment(0) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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