2015年04月21日

映画『ティム・バートンのコープスブライド』をホメる!

どうも、黒道です。
入院生活は絶賛続行中なのですが、夜中に眠れず日中眠い傾向にあります。昼夜が逆転してますね。悪い傾向だ……。
夜中は消灯時間で何もできないんだし、もっと昼間に起きといて、沢山作品鑑賞したいのになぁ。

というわけで、本日見た映画についてホメカツしようと思うところです。

映画『ティム・バートンのコープスブライド』



2005年、ティム・バートン監督のファンタジーアニメ映画です。

以前、ティム・バートン監督のジョニー・デップ主演『チャーリーとチョコレート工場』をホメカツいたしましたが、その監督であるティム・バートンが、この映画でもジョニー・デップと組んでいます。この二人の組み合わせはしょっちゅう見ますね。このコンビはいわゆる『鉄板』ってヤツなんでしょうね。
さてさて。この映画、実は前から密かに気になっておりました。ロシアの民話を基にしたという、ストップモーションで撮られた、ミュージカル風に進んでいく本作。私ディズニー映画が好きなんですよね、作中で唐突に歌ったり踊ったりするヤツ。幼い頃はそれ見ながら育ったので。
この作品も歌パートがあると聞いてたので、できれば見たいなと思っていたら、病院にDVDがありました。これはいい機会だと思って、見てみることにしたわけです。

では、続きよりホメカツをしていこうと思います。

19世紀、ヨーロッパの小さな村。
気弱な青年、ヴィクターが、この物語の主人公。ちなみに彼のCVがジョニー・デップ。

ヴィクターは、成金魚屋ヴァン・トート家の息子。このヴァン・トート家の両親、これがまた、金はあるけど品が無い。「自分達はこんなトコで魚屋やってる器じゃない」と、上昇志向むき出し。
そんなヴィクター、この度結婚することに。結婚相手は、貴族であるエヴァーグロット家の娘、ヴィクトリア。
このエヴァーグロット家の人々、これがまた由緒正しい身分なのに、金が無いんだとにかく。破産しちゃったんですね。金庫の中もカラッポ。でも貴族としてのプライドはイッチョマエで、ヴィクトリアをキツく束縛します。音楽を聴くことすら、「情熱的すぎる」とダメ。ちょっと二人で話すだけでも、「二人きりなどふしだらな」と怒鳴りだす。

……要は、政略結婚なんですね、この二人。
金はあるけど身分が無いヴァン・トート家。身分ばかりで金の無いエヴァーグロット家。お互いがお互いの家を見下しながらも、自分達の暮らしを良くするために、決して出来のよくない子ども同士を結婚させる。
ふたりは結婚式の前日、リハーサルが行われるその日まで、会ったこともなかったんです。
ヴィクトリアが「彼と愛し合えるかしら?」と不安がっているときも、エヴァーグロット夫人は「結婚は愛と関係ありませんよ。私とお父様が愛し合ってるように見えますか? いいえ、ちっとも!」とキッパリ。おおぅ、完全に結婚を、というか娘を家のためのカードだとしか思ってません。

……とはいえ、実際会ってみると、二人は割と悪いカップルじゃない。気弱だけど繊細な感性を持つヴィクター、器量は良くなくても心の優しいヴィクトリア。良い雰囲気になりかけていたトコロで、式のリハーサルに入ります。
でも、コレがマズかった。ヴィクター、ホント不器用で、すぐテンパる。儀式の手順、言わなきゃならん台詞、全然覚えられない。「お前結婚したくないのか!」と神父さんもイライラ、両家の親達もイライラ。終いにはエヴァークロット夫人のスカートに火を放ってしまいます。
新郎のあまりのダメさにブチキレた神父さん。
「お前が式をきちんと挙げられるようになるまで、本番は延期だ!」
そう言って、結婚式の日程を無理矢理延ばしてしまいます。い、いくらなんでもそこまでせんでも……。

ヴィクターも、自分のダメさに嫌気が差して、思わず屋敷を飛び出します。近くの森の中を歩きながら、一生懸命誓いの言葉の練習。「難しいはずがないのになぁ……」と言いながらも、肝心の台詞が全然出てこない。
それでも延々と練習して……ついに、ついにたった一度だけ言い切ることに成功。チョーシに乗っちゃったヴィクターは、懐から結婚指輪を取り出して、地面に突き出してた手みたいな形した木の枝にスッ。完璧!
……ところが、コレがまたまたマズかった。それは木の枝じゃなかったんです。枯れ果てた腕でした、人間の!
ヴィクターの腕をガッシリと掴んだその者の正体は、死体の花嫁『コープス・ブライド』……エミリー。
かつて美しき娘として知られていた彼女は、ある男と駆け落ちの約束をしました。花嫁衣装と宝石、お金。少しの荷物で夜中に出かけた彼女はしかし、その場で殺され金品を奪われてしまいます。つまるところ、相手の男に騙されたわけですね。
そんな自分に愛を誓ってくれる人が現れた! そう勘違いして地の底からゴボゴボと現れたエミリーは、腕をもごうが必死で走ろうが追いかけてくる。そしてヴィクターと熱い抱擁を(無理矢理)交わすと……彼を地の底、『死者の世界』へ引きずり込んでしまいます。

無論、ヴィクターはエミリーと結婚する気はありません。彼女の身の上には同情しながらも、なんとか騙くらかして『地上の世界』へ帰還。ヴィクトリアの元へ戻る。
「僕は今朝まで結婚が怖かった。でも、君を見て、結婚したいと思った」
改めて愛を告白するヴィクター……ですが……そこにエミリーが追いかけてくる。
鉢合わせた二人の花嫁。ヴィクトリアが困惑しているうちに、再びエミリーはヴィクターを『死者の世界』へ連れ去ってしまいます。
「騙したのね!」と怒り悲しむエミリー……しかしヴィクターに言わせれば、元々勝手にそっちが勘違いしたわけです。彼は言います。
「僕達は違い過ぎるよ。君は死んでて、僕は生きてる」

……とは言いつつもですね。ヴィクターは、彼女も素敵な女性だなぁと、そう感じ始めていたわけです。
実際エミリーの方が美人だし、死んでるという一点を除けば花嫁としてのレベルはヴィクトリアより高い。
それに死んでるとはいえ、彼女にも心があるわけで。喜びとか悲しみとか、そういうものが。
生きてるとか死んでるって、そんな大きな問題なんだろうかな?
一緒にピアノを弾いたりしながら、徐々に意気投合していく二人。

一方その頃地上は、消えたヴィクターの件でてんてこまい。
息子がいなくちゃ地位が手に入らない、と大慌てのヴァン・トート夫妻。娘が「彼が死者と結婚した」とか言い出して意味分からん上、結婚相手がいなくなって面目丸潰れのエヴァーグロット夫妻。
特にエヴァーグロット家は、今すぐにでも金持ちと結婚しないと路頭に迷っちゃうわけです。これは深刻な問題でした。なんとか明日結婚式を挙げられないか……そうだ、別にヴァン・トートの息子じゃなくてもいいわ、金持ってれば。
ワオ、発想の大転換。エヴァーグロット夫妻は、自分の娘を今日会ったばかりの金持ちと結婚させることにします。きっと共に愛をはぐくめるだろう。そう信じていたヴィクトリアは、親に逆らうこともできず、絶望の表情のまま結婚式を迎えるのです。

「ヴィクトリアが別の男と結婚した」
そのニュースは、死者の世界にも伝わります。ヴィクターはこの知らせに大変ショックを受けます。二人の間で揺れ動いてたのに、その片方……というか本来あるべき場所が埋まってしまったわけですからね。
これで完全に踏ん切りをつけてしまったヴィクター、なんとエミリーとの結婚を決心しちゃう。
とは言っても、彼自身は生者であるわけですから、「死が二人を別つまで」の誓いは立てられません。片方死んでるし。つまり……エミリーと結婚するために、彼は死なないといけない。マジかよ。でも、ヴィクターはそれすら受け入れると言います。地上でもう一度エミリーに結婚の誓いをし、毒杯を飲むというのです。うわぁ、なんだそれは。たまげたなぁ……。

さあ、ヴィクターはホントにエミリーを、そして死を選ぶのでしょうか。それとも――。

……さてさて。こんな感じのお話なんですが。
ストーリーの幹だけを追いかけますとですね、まあ、普通なんですよ。下手な話ではないけど、目新しさはそんなに……? って感じで。
でもですね、こーいうのって、しばしば勘違いしがちなんですけど。一見普通の物語に「どのような味付けをしていくのか」、物語を「どのように見せて(魅せて)いくのか」なんですよね。

生者の花嫁、死者の花嫁。どちらを選ぶか。
ここんとこの葛藤を描くには、その前提となる土台がしっかりしてなきゃいけません。つまり、キャラクターのリアリティ。
ここを下手に描くと、「どう考えてもヴィクトリア選ぶだろ、生きてるんだし」あるいは「明らかにエミリーの方がいいだろ、美人だしさ」といった風になってしまい、ヴィクターの葛藤に共感することができない。
もっと言えば、ヴィクターが冷静な男で「いや、ヴィクトリアorエミリーだろ、常識的に考えて」と即断できるような男であれば、そこにドラマは生まれないわけです。
素晴らしいドラマが始まるのは、いつだって何かと何かがぶつかる時。何かと何かの間で葛藤する時。そして、ぶつかる『何か』同士が拮抗しているほど、ドラマは盛り上がるわけです。

その点、この作品の素晴らしいのは、二人の花嫁それぞれの魅力を非常に丁寧に描いていること。
ヴィクトリアは、決して器量良しではないし、貴族の娘であっても完璧な女性ではありません。でも優しさがある。相手を愛し、慈しむ心を持っている。
エミリーは死者です。骨も見えてるし体内で蛆虫(マゴット)も飼っています。でも、素敵な女性。それに、愛する人を想う気持ちは本物です。
そういったことを、決して説明的にならず、さりげない描写の中で明らかにしていっている。ここがしっかりしているからこそ、この映画を見た人は、自然と「ああ、どっちも幸せになってほしいなぁ。でも、結婚できるのは片方だけか。どうなっちゃうんだろう」という気持ちになるわけです。

また、キャラクター造形が素晴らしいのも見逃せません。映画ってストーリーだけじゃないですもんね。映像と物語と音楽と色々合わさった総合芸術ですから。
この物語に登場するキャラクター達、大体ひと目でどんな性格か分かるんですよね。人間だろうと、骸骨だろうと。記号として非常に分かりやすい。

特に私がお気に入りなのは、死者の世界の人々。『不気味さ』『愉快さ』が見事なバランスで同居しているんですよね。エミリーもそうですけど、モブの人々までみんな。
刺激的なモノにあまり触れず育ったヴィクターを、圧倒的騒がしさ、色彩の暴力で包み込む死者達。灰色でつまらない地上の世界と彼らを対比しちゃうから、ヴィクターは段々死者の世界に惹かれていってしまう。陽気なヤツらばっかりで、死んでるくせにイキイキしていて、見ているこっちまで死者の世界も悪くないわな、という気持ちにさせられます。
でも、死者の怒りをひとたび買えば、恐ろしいコトが待っている。基本的には楽しい気分で見ていた私でしたが、何度も「ゾッ!」とさせられました。
死者の世界もこんな楽しいよ! という引き寄せ方と、やはり死者は死者なのだ、という突き放し方。ここの調整が上手くいっているから、ここまで死者達に魅力を感じるのだと思います。

そして、何よりラストシーンですよ。非常に『美しい』。この映像だけでもう涙が出そうです。
聞けば、こういうアニメを撮るのってとっても大変で、数秒撮影するだけでも半日くらいかかったりするとか。それでも、そうやって手間暇かけて作っていった映像だからこそ、そこに感動が宿るのでしょうね。

今回はあんまり細かく説明しちゃうと皆さんの興も冷めちゃうでしょうから、語りすぎないように気をつけますが。機会があれば是非見ていただきたいと思います。そして是非感じていただきたい。どこにも無いモノを作ろうとして捻りまくったプロットよりも、リアリティを出す丁寧な仕事こそが傑作を生むということを。



強いて言うなら、もっと曲を聴きたかったな。そういう映画が好きなんですよね。無論この映画も素晴らしい曲ばかりだったんですが、それ故にもっと沢山欲しいというヨクバリな気持ちにさせられました。
それでは、次回のホメカツをお楽しみに!

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posted by 黒道蟲太郎 at 21:04| Comment(0) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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