2015年04月15日

映画『チャーリーとチョコレート工場』をホメる!

はい、どうもこんにちは。
入院生活絶賛続行中の黒道です。
この病院には沢山の漫画があるので、とにかく暇を潰そうと思えばなんぼでも潰せそうです。昨晩の更新の後よく探したら、『ZERO』の作者、松本大洋先生の『鉄コン筋クリート』置いてありました。一通り読んでみたので、今度またホメカツしようと思います。
『ZERO』のホメカツはこちらから読めます。熱く哀しい作品ですから、是非読んでみてくださいね。

と、いうわけなんですが。今回は違う作品をホメカツしちゃいます。



映画『チャーリーとチョコレート工場』
2005年公開、ティム・バートン監督。アメリカのファンタジー・コメディ映画です。

って、さんざん漫画で話題引っ張っといて映画やないかーい!
いや、貸出コーナーがあったんですよ。気付かなかったんですけど。そしたら昔大好きだった映画があって、ついつい見ちゃいましたよね。
果たして、この歳で改めて『チャリチョコ』を見直すと、どんな世界が広がっているのか?
それを探るため、我々は南米アマゾンの奥地へと向かった……(?)

今回も、ネタバレが入っていますので、注意してご覧ください。

チャーリー・バケット少年は、ドがつく貧乏な家の子どもです。
それも半端な貧乏ではありません。まず家がヤバい。冗談みたいに傾いています。だまし絵みたいです。どういうバランスで立ってるんだって話です。
しかもこの家、七人家族。チャーリーとお父さん、お母さん。そしておじいちゃんおばあちゃん。それも父方も母方も、計四人、うち三人が寝たきり、四人の年齢は合計381歳。平均年齢95歳ですよ、ご長寿だ。
しかも、そんな家計を支えるお父さんは、歯磨き粉工場でチューブのフタを閉めるライン工。長時間働かされて給料は最悪。お母さんが働こうにも、介護とかあるでしょうからなかなか厳しいんでしょうね。
バケット家の人々は、毎日うっすいうっすいキャベツのスープを……キャベツしか入ってないヤツですよ。それを飲んで飢えをしのいでいます。いくらなんでも凄まじすぎる。

そんな彼の住む街には、ウィリー・ウォンカのチョコレート工場があります。
奇跡を起こす天才お菓子職人、ウィリー・ウォンカ。彼はかつて、たったひとりでお菓子屋さんを始め、それを一代で巨大工場を持てるまでに成長させます。どんなお菓子工場より巨大なその工場で、多くの人を雇い、上質なお菓子を作り、経済を潤していました。
しかし、その成功が同業者の妬みを買います。レシピが盗まれてしまうのです。見る間に溢れるウォンカ製品の偽物。それを見たウォンカは、工場を永久に閉鎖してしまいました。
……しかし、チャーリーが知っている工場は、今も元気に煙を上げて動いています。そう、ウォンカはある時、突然工場を再稼動させたのです。しかし、その工場を出入りする人を見た者は誰もいない。出てくるのはトラックに満載されたお菓子ばかり……。謎に満ちた工場の中を知る者は、誰もいません。

そんなウォンカは、世界中にお触れを出します。
『世界中に出荷されるウチの板チョコに、五枚だけ金色のチケットを封入しています。それを引き当てた幸運な子ども達五人を、我が工場に招待します』
世界中の人々が、ウォンカチョコを買いに走ります。あっという間に四人の当選者が出現。
チョコを鬼のように食いまくるデブ少年、オーガスタス。
親の圧倒的な財産を用いチケットを手に入れたワガママ少女、ベルーカ。
『勝者』であることに異様にこだわる、ガムを噛みっぱなしの少女、ヴァイオレット。
計算に基づき、たった一枚チョコを買ってチケットを当てた、暴力ゲームオタク少年、マイク。
……そして、最後の一枚は、なんとチャーリーの手に。

かつてウォンカ工場に勤めていた、比較的足腰が丈夫なジョーおじいちゃんと共に、チャーリーはチョコレート工場へ向かいます。
果たして、秘密の工場の中はどのようになっているのか?
そして、五人のうちたった一人にだけ渡されるという、『特別賞』は誰の手に……?

と、簡単にあらすじを説明させていただきましたが。
話の主なスジは、いわゆる勧善懲悪モノとなっています。チャーリー以外の子ども達は、工場で余計なコトをしたがために、次々と悲惨な目に遭っていきます。でも、正直者のチャーリーは、いい子にしていたのでいいコトがある。

でも、本作の真の主役は、チャーリーじゃありません。謎めいた工場長、ウィリー・ウォンカです。
工場から長く出ていないから肌は青白く、奇抜なファッションで、チャーリー曰く「髪型もヘン」。
しかもこの男、『かーなーりーの』人格破綻者です。
大変独特なセンスを持っており、それが奇跡のお菓子を次々と生み出すんですが、そのユニークさ故に他人とのコミュニケーションが大変苦手。
突然子どもに抱きつかれると顔を引きつらせ、スピーチをしようと思えばトンチンカンな内容に。お菓子以外には全く興味ナシで、かつての仕事仲間であるジョーおじいちゃんの顔も忘れてるし、名刺を渡されてもその場で捨てちゃう。
皮肉屋で、自慢したがりで、話の腰を折られるのが大変嫌い。その感性から生み出される常人の理解を超えたジョークの数々、それにマジレスされてもまた不機嫌になる。
自分の気に入らない子どもがひどい目に遭っているのを無表情で見ていたり、助けられるであろう状況でもあえて助けなかったり、気に入らないモノが痛めつけられるサマを冷酷に楽しむ一面も。

小さい頃の黒道はね、もうちょっと純粋な目でこの映画を見てましたよ。
「わぁ、チャーリー、チョコレート工場行けてよかったね! 中もとっても楽しそう! バカな子ども達が次々とひどい目に遭って、いい気味だなぁ、やっぱりチャーリーがナンバーワン!」……ってな感じで。
でも、今改めて見てみますと。この物語は、ブラックジョークに彩られた、ウィリー・ウォンカの心の傷が癒されるまでの物語でもあるんですよね。
原作『チョコレート工場の秘密』と比べてみると分かるのですが、本作には、原作にはない『ウォンカの過去』という要素が含まれているんですよね。

ウィリー少年は、街一番の歯科医、ウィルバー・ウォンカの息子でした。
息子の完璧な歯を維持するため、顔全体にキャッチャーマスクめいた歯並び矯正器具を着用させ、お菓子のような歯の健康を害すものは一切摂取させないようにしていました。そのため、ハロウィンにお菓子をもらっても、残らず暖炉に放り込まれ、燃やされてしまっていました。彼は一度もチョコレートを食べたことがなかったのです。
ところが、ハロウィンの燃え残りのチョコレートを偶然発見したところから、ウィリーの運命は変わっていきます。初めて口にしたチョコレートは、彼を夢中にさせました。あっという間にお小遣いをチョコレートに溶かし、また、お菓子職人という職業に憧れを抱くようになります。
お菓子職人など許さない、そんなものは無駄だと言い切る父親に反発し、彼は家出をします。「お前の帰る家は無いぞ」という言葉の通り、ウィルバーはマジで家を引越します。ウィリーが再び訪ねた時には、家があった場所は単なる空き地になっていたのです。そ、そこまでしなくても。

ウィリー・ウォンカは『親』を憎んでいます。トラウマになっていると言ってもいいでしょう。
『両親(parents)』という単語を発しようとすると、突然どもってしまいます。また、普段は考えないようにしている父親のことを思い出すと、記憶がフラッシュバックして、たびたびぼんやりしてしまいます。
親は自分のやりたいコトを邪魔するだけの存在であり、自分は親がいないからこそ成功した。彼はそう信じています。

『家族』というテーマを盛り込む為に、ティム・バートンはこの作品の展開に一部手を入れています。
特に顕著なのは、チャーリーが『特別賞』を得ることになってから、ラストへ至るまでのシーンでしょう。
原作のチャーリーは、ウォンカに与えられた『特別賞』を喜んで受け取ります。
しかし映画では少し様子が違う。ウォンカは、「『特別賞』を受け取るためには、家族を捨てなければならあい。でも、いいだろう? 厄介払いができる」そう言います。『特別賞』が受け取れると喜んでいたチャーリーは、しかし、それを聞いた途端に受け取ることを拒否します。ウォンカが何度確認しなおしても、泣きそうなのを必死に堪えながら。
ウォンカは、何が起きたか分からないといった様子で大混乱します。そしてそれをきっかけに、大スランプに落ち込んでしまうのです。『特別賞』を断られるなんて考えてもみなかった。そこまでしてチャーリーが大切にしたい『家族』っていうのは、一体何なんだ?
考えてみれば、彼は家出したその日以来、孤独と共に生きてきました。『家族』という概念とまともに向き合っていないのです。自分を邪魔する家族も、自分を売る従業員も全部遠ざけて、たった一人で栄光を手に入れた。それなのに、その栄光よりも、チャーリーは家族の方が大事だという。彼は向き合わざるを得なくなったのです、長年目を逸らし続けた、『家族』というものと。

「子どもの頃見た『チャリチョコ』と、大人になって見る『チャリチョコ』は違う」
改めて見ることによって、その事実がハッキリしてきました。ウォンカと真っ直ぐ向き合う正直な子ども、チャーリーの姿は、私にとってあまりにもまぶしい。良い子のチャーリーよりも、子どもみたいな大人、ウォンカに感情移入してしまう。
嗚呼、これが十年経ったということなのでしょうか? 私も大事なモノから目を背けて、ひねくれた人間に成長してしまったということなんでしょうか……。

も、もちろん、十年前と変わらないところも、沢山ありますよ。
「理屈抜きで楽しいのがチョコレートさ」そうチャーリーの言う通り、工場の中はただひたすら見る者をワクワクさせます。物語の整合性やリアリティばかり気にした、「こんなお菓子あるかよ!」とか「こんなこと有り得ないだろ!」といった野暮なツッコミは、この心弾ませる映像の前では跡形も無く消えてしまいます。
加えて、音楽が素晴らしい。物語を盛り上げるBGMには、メインテーマやウンパ・ルンパのテーマが効果的に盛り込まれており、聴いていて「おぉっ」と思うところが沢山。
とりわけ素晴らしいのは、やはり悪い子がお仕置きされた際に流れ出す、ウンパ・ルンパ達が『即興で』奏でる楽曲達。辛辣な内容に、ウンパ・ルンパのダンスも相まって、何度でも聴いていたくなります。
私が特に気に入っているのは、秀才気取りのマイクが捕まった際の楽曲。あのシーン全体に、過去の偉大な映画、あるいはアーティストのパロディが散りばめられています。ぶっちゃけ昔は気付けませんでしたよね。曲自体は非常にドラマティックな展開のロックナンバー。Queenやビートルズをパロっています。あの頃も大変気に入って何度も聴いていましたが、今改めて聴くとその素晴らしさが改めて理解できようというものです。
でも、でも、この胸の痛みは何なんでしょうかね……。

子どもが見てもワクワク楽しい、大人が見ればブラックジョークで更にニヤニヤ、そして少し切なくなる、不朽の名作であると言えましょう。
是非皆さんも、チャーリーと一緒に童心に帰って、あるいはコドモオトナの方はウォンカと一緒の気持ちになって、見てみてくださいね。



それでは、次回のホメカツをお楽しみに。

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posted by 黒道蟲太郎 at 17:30| Comment(2) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
「山月記」とか如何でしょう。
Posted by モーターモグラ at 2015年04月16日 03:57
とても感動しました。
今まで沢山の感想、考察を読んできましたがこれ程同感できる方はいませんでした。
ありがとうございます。
この映画最後は幸せに終わってるはずなのにどこか切ないですよね
世間から孤立していた者同士が互いを埋め合わせ外界と隔離された工場内で一生幸せに暮らすというのがなんか哀しく感じてしまいます。
大衆向けになったのに全体的にシザーハンズのような切ない雰囲気が漂っている感じが深みを出していて良いんです
という気がします
不思議な映画ですね
長文失礼しました!
Posted by at 2019年10月21日 19:53
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